画像引用元:Netflix Japan 公式Xより
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こんにちは、はな(@hanahackpq)です。
2025年1月9日からNetflixドラマ『阿修羅のごとく』の配信がスタートしました。
私は全くノーマークの作品だったのですが、大好きなYouTuber・おまけの夜の柿沼さんが話題にしていたことをきっかけに、今作を観始めました。
結果、本当に観て良かったと心から思える作品でした!
とにかく完成度が高く、観終えた後に心の中にずっしりと残るものがありました。
私の心に重たく、けれど希望のように残ったその感情は何だったのかーー。
その答えを探るために、この記事では『阿修羅のごとく』に登場する4姉妹がそれぞれ抱える「阿修羅」について考察していきたいと思います。
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『阿修羅のごとく』作品情報
1979年の東京。生き方も性格も異なる4姉妹が知った、老齢の父親の不倫。これをきっかけに、一見平穏な家族関係の裏に渦巻く感情が、少しずつその姿を見せはじめる。
Netflix『阿修羅のごとく』より
配信開始日 | 2025年1月9日 |
エピソード | 全7話 |
原作・脚本 | 向田邦子 |
監督 | 是枝裕和 |
主演 | 宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず |
Netflixドラマ『阿修羅のごとく』は、NHKの土曜ドラマとして1979年から放送された向田邦子脚本ドラマ『阿修羅のごとく』のリメイク作品です。
今作は、基本的にはオリジナル脚本を踏襲しながらも、是枝監督がオリジナル脚本に徹底的に向き合い、女性像を現代的にアップデートしています。
「どこをどのようにアップデートさせたのか?」という点については、後ほどご紹介していきます!
今作の2つの魅力とは?

Netflixドラマ『阿修羅のごとく』は、とにかく完成度が高く、奥深く、魅力的な作品でした。
今作の考察に入る前に、まず今作の2つの魅力についてご紹介していきます。
1つ目は、言わずもがな、向田邦子脚本の魅力です。
「実際に言っていることと、腹の中で思っていることが違う」
これは日本人によくあることですが、この人情の機微をフィクションの脚本で表現するのは非常に難しいと思います。
ほんの少しでもバランスを誤ると、観客は「その場で話されている言葉こそが登場人物の本心だ」と信じてしまいます。
けれど、その絶妙なバランスを保ったまま、本心とは異なる言葉から、登場人物の「本心」をにじませることができるのが、向田邦子の脚本なのだと感じました。
もう1つの魅力は、どの時代にも通じる「人間の中の強さと弱さ」をテーマにしていることです。
そしてその「強さ」と「弱さ」こそが、「阿修羅」なのだと私は考えます。
今作の時代背景と女性像のアップデート

今作の時代背景
今作における「阿修羅」とは何かを考える前に、まず今作の時代背景に触れておきたいと思います。
舞台となる1970年代の日本は、戦後の高度経済成長期を経て、家庭の形が「核家族化」しつつある一方で、家父長制の意識が色濃く残っていた時代です。
『阿修羅のごとく』に登場する父・国雄は、妻がいながらも愛人を持ち、それが家族内で黙認されているかのような状況が描かれます。
この時代、「男は外で遊ぶもの」「男の浮気は甲斐性」という価値観がまだ根強く、女性たちはそれを耐え忍ぶのが美徳とされる風潮があったのです。
しかし一方で、1970年代は女性の社会進出が進んだ時代でもあり、これまで社会が押し付けてきた「女性とはこうあるべき」という価値観への反発も、少しずつ広がりを見せていました。
このような時代背景が女性たちの心に波紋を広げ、心の中に阿修羅を生む土壌となったわけです。
現代的な女性像へのアップデート
Netflixドラマ版『阿修羅のごとく』が面白いのは、当時の脚本に忠実に、当時の時代背景や女性たちの心の揺れ動きを描きつつも、女性像を現代的にアップデートしている点です。
例えば、次女の巻子です。
オリジナル版では巻子は「不幸を耐え忍ぶ女性」のように描かれていましたが、今作では彼女自身が強い意志を持っており、不満を押し殺すだけの人物にはなっていません。
そのため、夫・鷹男との関係もオリジナル版と比べると変化しています。
鷹男の家父長的な態度はかなり抑えられ、むしろ夫婦間の力関係は逆転している場面すらあります。

水を飲むシーンでは、巻子が怖すぎて笑ってしまいました(笑)
また、四女の咲子についても変化があります。
オリジナル版では「男性に左右される女性」という印象が強かったのですが、今作では自分の意志をしっかり持ち、自ら人生を選び取っていく人物へとアップデートされています。
これらの変更によって、Netflixドラマ版『阿修羅のごとく』はオリジナル版の魅力はそのままに、現代の視聴者にも訴えかける作品になったと言えるでしょう。
4姉妹それぞれの阿修羅とは?

それでは、4姉妹がそれぞれ抱える「阿修羅」とは何だったのかを考察していきましょう。
そもそも「阿修羅」とは、ヒンドゥー教に登場する鬼神であり、闘争を好み、憎悪や怒りを司る存在です。
このように聞くと阿修羅が悪い存在を意味すると思うかもしれませんが、私は今作における阿修羅が単なる悪、悪いものを指しているとは思いません。
憎しみや怒りは、心を蝕む「弱さ」であると同時に、人間を突き動かす「強さ」にもなります。
この二面性こそが、今作における「阿修羅」の本質なのだと感じました。
長女・綱子の阿修羅
綱子は「格式ある生け花の師匠」であり、長女として家族をまとめる役割を担っています。
しかし、夫に先立たれた後「ひとりでは生きられない」という弱さを抱え、不倫に身を投じています。
外側は良識的な仮面をかぶりながらも、心の奥底では「愛されたい」という飢えに支配されているのです。
その欲望と孤独こそが、彼女の中の「阿修羅」なのでしょう。
次女・巻子の阿修羅
巻子は、表面上は「平凡で幸せな家庭を守る主婦」のように見えます。
しかし実際は、夫から女性として見られなくなったことへの不満や、夫の不倫への疑念、嫉妬に苦しんでいます。
彼女の中に渦巻く疑念と嫉妬、そしてそれを押し殺して家族のために耐え続ける姿勢が、巻子の阿修羅を形作っています。
三女・滝子の阿修羅
滝子は「男に頼らず自立している女性」として描かれています。
しかしその裏では、一人で生きることへの不安や孤独、高いプライドと劣等感を抱えています。
彼女の中にある誇りと孤独の対立が阿修羅となり、彼女の心に居座っているのです。
四女・咲子の阿修羅
咲子は、派手で奔放で「男によって幸せを得ている女性」の象徴のように描かれています。
しかし、実は「幸せになること」「他人から幸せに見られること」に人一倍執着し、不幸なほど努力し続けているのです。
その見栄と虚栄心、そして弱さを見せない傲慢さが、咲子の阿修羅なのでしょう。
4姉妹の阿修羅は消えない
最終話で、4姉妹はそれぞれの感情のピークを迎えます。
怒り、悲しみ、嫉妬、絶望…そうした「阿修羅」の感情が一度爆発することで、ある種のカタルシス(浄化)が訪れたようにも見えます。
だけど、それは「解放」というより「共存」への第一歩なのです。
阿修羅は消えません。
なぜならそれは、人間の本質的な欲やエゴ、愛憎そのものだからです。
そういう意味で、彼女たちの「阿修羅」は決して悪ではなく、生きるための原動力でもあるんですよね。
苦しみも悲しみも、時には怒りさえも、自分を強くするエネルギーになるーー。
まさに「阿修羅のごとく」は、そういう人間のどうしようもなさと美しさを描いている作品なのでしょう。
まとめ|演技もとにかく最高でした
この記事では、Netflixドラマ『阿修羅のごとく』の考察をしていきました。
記事の中では主に物語について触れていきましたが、今作何よりも、4姉妹を演じた宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すずの演技が最高でした。
特に蒼井優の最終話の病室でのシーンでは、思わず息をのみ、私の心の奥底まで滝子の言葉が突き刺さる感覚がありました。
本当に良い作品でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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「最高傑作」「圧倒的に良い」と評価されていて、何それ気になる~!とすぐに観はじめました(笑)