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こんにちは、はな(@hanahackpq)です。
朝井リョウさんの作家15周年記念作品『イン・ザ・メガチャーチ』を読みました!!
朝井リョウさんの紡ぐ言葉や物語が私は本当に好きで、今回もかなり期待値を上げて読み始めました。
ですが、そのハードルを軽々と超えるほどの素晴らしさでした。
この記事では、『イン・ザ・メガチャーチ』の感想をお話ししていきます!
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『イン・ザ・メガチャーチ』作品情報
沈みゆく列島で、“界隈”は沸騰する――。
日経BOOKプラス『イン・ザ・メガチャーチ』より引用
あるアイドルグループの運営に参画することになった、家族と離れて暮らす男。内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側――世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。
「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」
| タイトル | 『イン・ザ・メガチャーチ』 |
| 著者 | 朝井リョウ |
| ページ数 | 448ページ |
| 単行本発売日 | 2025年09月05日 |
感想|“生きるために信仰する物語”を持つということ

朝井リョウさんの作品はどれも、一言一句が心に刺さり、感想をまとめるのがいつも難しく感じます。
今作も400ページ超、常に感情が揺さぶられ続け、思考させられ続ける感覚がありました。
本当は整理された考察のようなものを書きたいところですが、考察どころか自分の感情すら整理できていないのが正直なところ。
そのため今回は、読んで感じたことや考えたことを、素直に書いていこうと思います。
多様な価値観を“生きた人物”として描く筆致
群像劇を描かせたら右に出る者はいない──そんな印象を改めて強くしました。
今作も群像劇で、読みながら「どうしてここまで違う価値観を持つ人格をいくつも、生き生きと描けるのか」と少し怖くなるほどでした。
朝井リョウさんの生みだす登場人物には、それぞれに確固たる価値観や人生があり、小説の中で「生きている」という確かな重みがあります。
小説に限らずフィクションの作品では、多くの場合、複数の登場人物の背後に作者の価値観がふと透ける瞬間があります。
だけど、朝井リョウさんの作り出す登場人物たちは、それぞれが確かな価値観を持ち、“作者の分身”ではなく“そこに生きる人”として存在している。
そのリアリティがたまらなく刺さります。
推し活は“物語”
今回の物語の核にあるのは、ファンダム経済──いわゆる“推し活”です。
今の私は、推し活文化とは縁のない生活を送っています。
そんな自分は、”推し”を追いかけて(今作で言うところの)「視野狭窄」に陥っている人を見ると「なんであそこまで何かを”信仰”できるのだろうか」という、どこか冷めた気持ちになってしまっていたことも事実です。
一方で、「推しが尊い」「推しが生きる支え」と語る人たちに対し、どこか羨ましさも感じていました。
彼らは“生きるために信仰する物語”を持っているからです。
そもそも “推し活” って、近年突然現れた言葉のように思いますが、アイドルや歌手、俳優を熱狂的に応援すること自体は昔から普通にあったことですよね。
先ほど、私は推し活と縁のない生活を送っているといいましたが、実は10年ほど前まで、小学生から高校生までは嵐の大ファンでした。
そのころ、私の行動の中心にはいつも嵐がいました。
嵐が出るテレビ番組、雑誌の発売日、CDやDVDの発売日、コンサート、ファン(いわゆる、ARASICK)の集まり、時にはロケ地を巡ったり、それらが私の毎日を忙しくし、行動の中心には常に“嵐ファンとしての活動”がありました。
ところが、大学受験に向けて勉強が忙しくなった途端、私の嵐への興味が一気に失われてしまいました。
次に私は、「大学受験」を中心とする生活に取り込まれていったのです。
そういう意味で、私にとって“大学受験”もまた、一つの“物語”であり“信仰”のような存在でした。
私の行動の全てが大学受験に向けた勉強を中心に決定されていったのです。
平日は朝6時に学校に行き、放課後は20時まで勉強、その後はファミレスに移動して、さらに勉強。休日は12時間勉強。毎月の模試を受けて、自分と志望校の間の道のりを測り、計画を調整する。
こうやって思い出すと、嵐でも受験勉強でも、1つの “物語” に向かって視野を狭め、それによって自分の行動が決定されていたという点は共通しています。
視野を狭めて行動するというのは、何かに追われ続けるような大変さもありますが、やはり幸せであるのだと思います。
特に、私たちは大人になると、学生が無条件に与えられていた “勉強” “進学” のような物語からは解放されます。
もちろん、自己成長が求められるこの時代、私たちは常に “自己成長” の物語には容易に取り込まれることができます。
ですが、”自己成長” の物語というのは、主体性を強く求めてくるものです。
「あなたは何をしたいの?」
「あなたのキャリアビジョンは?」
「あなたがこの会社で達成したいことは?」
「あなたの強み、弱みは?」
このような物語は、飲み込まれても苦しさがあるものです。
そんな時、救いになるのがきっと “推し活” のような物語なんですね。
家庭でも職場でもなく、ただ純粋にファンとしての役割を与えられ、それによって人と繋がれる場所。たしかに魅力的です。
視野を広げることは善?
現代では「視野を広く持とう」「多様性を受け入れよう」と語られますが、それは本当に“誰にとっても良いこと”なのでしょうか。
もちろん、視野を狭め、多様性を受け入れない姿勢は問題です。
だけど、みんながみんな視野を広げたって、適切にその視野から物事を捉えられる人は一握りで、その物事に対して行動を起こせる人はまたその一握りです。
そう考えると、社会の中でもがく私たちにとって“視野を狭められる対象”があることは、救いであり、必ずしも悪ではないのだと思います。
作中の後半では、久保田慶彦は“友情”、武藤澄香は“推し活”、隅川絢子は“宗教”という物語に飲み込まれ、それぞれ視野を狭めていきます。
久保田慶彦は友情を感じていた垣花道哉に拒まれたことで、きっと狭まっていた視野が少しずつ戻っていくのでしょう。
だけどそこにはとてつもない痛みが伴っているのだと感じます。
また、武藤澄香は今まさに「推し活」という物語にのまれている真っただ中で、もし父である慶彦がそれを咎めたとしても、彼女はそれをやめないでしょう。
なぜなら、彼女にとって視野を狭めることは救いであり、視野を広げた先の世界は彼女にとって考えることがあまりにも多く、自分が認められない感覚になる、苦しいものだからです。
まとめ
この記事では、『イン・ザ・メガチャーチ』の感想をお話ししてきました!
やはり朝井リョウさんの作品は、現代と現代を生きる人間の感情を切り取り、私たちに突き付けてきます。
たまらなく大好きです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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