【感想】小説『死にがいを求めて生きているの』何者かになりたい私たちへの鎮痛剤

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こんにちは、はな(@hanahackpq)です。

私は先日、朝井リョウさんの小説『正欲』に衝撃を受け、読書の面白さに気付きました。

その興奮さめやらぬ中、同じく朝井リョウさんの小説『死にがいを求めて生きているの』を読み、私はやっぱり朝井リョウさんの紡ぐ言葉、世界観、価値観が大好きだと実感しました。

この記事では、今作を読んだ私の、とてもパーソナルな感想を書いていきます。

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『死にがいを求めて生きているの』作品情報

誰とも比べなくていい。
そう囁かれたはずの世界は
こんなにも苦しい――

「お前は、価値のある人間なの?」

朝井リョウが放つ、〝平成〟を生きる若者たちが背負った自滅と祈りの物語

植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。
二人の間に横たわる〝歪な真実〟とは?
毎日の繰り返しに倦んだ看護士、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。
交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、
目隠しをされた〝平成〟という時代の闇が露わになる。
今を生きる人すべてが向き合わざるを得ない、自滅と祈りの物語。

著者朝井リョウ
ページ数(文庫版)552ページ
初版発行2019年3月

小説『死にがいを求めて生きているの』は、<螺旋>プロジェクトの内の1作です。

<螺旋>プロジェクトとは、朝井リョウ、伊坂幸太郎、大森兄弟、薬丸岳、吉田篤弘、天野純希、乾ルカ、澤田瞳子の8人の作家による競作企画で、朝井リョウは「平成」パートを受け持っています。

<螺旋>プロジェクトの共通ルールは次の通り。

①「海族」VS.「山族」の対立を描く
②共通のキャラクターを登場させる
③共通シーンや象徴モチーフを出す

正直私は、今作が競作企画の内の1作だとは知らずに購入してしまったので、「海族」「山族」の物語には乗り切れませんでした…

ただ、それでも今作は、平成に生まれ、平成を生きてきた自分には、自分自身の価値観の根底を明らかにされるような、衝撃的な作品でした。

それでは、今作の感想を詳しくご紹介していきます。

感想 | 何者かになりたい私たちへの鎮痛剤

時間割に運ばれていく

今の若者の間では「何者かになりたい」病が蔓延していると、揶揄されることがあります。そして、平成9年生まれの私も「何者かになりたい」と足掻いている1人です。

1章で描かれる看護師・白井友里子と同じく、私も学生の頃は、卒業というゴールに向かって、時間割に運ばれ日々を過ごしていました。

地元で堅実とされる国立大学の受験に向けてがむしゃらに勉強し、合格した途端、自分が何をしたいのか、何をするべきなのか分からなくなったことを覚えています。

ただし、卒業に必要な単位要件が与えられ、時間割が決まった途端、私の中の「自分が何をしたいのか、何をするべきなのか」という気持ちはとても小さくなりました。

あとは時間割に運ばれていけば卒業というゴールに辿りつけるのですから、当然です。

「何もしていない社会的に無価値な自分」への焦り

だけど大学2年生になると、国際学部に所属していた私の同級生たちは、次第に「留学」「海外ボランティア」という目標に向かっていくようになり、私は焦りました。

これは、今作のメインテーマである「生きがい」あるいは「死にがい」にも繋がることでしょう。

国立大学に入学し、授業料免除制度のお世話になっていた私は、ある程度良い成績を取らなければいけなかったですし、アルバイトをして生活費も稼ぎ、ある程度は頑張っていたと思うのです。

だけど「誰とも比べなくていい。あなたはあなたのままでよい」とされ、外的に相対評価がされなくなったこの社会では、私たちは周りの人間と自分を比べ、内的に相対評価をくだしてしまうのです。

その時私は「何もしていない社会的に無価値な自分」に、焦りました。

正直なところ、私も今作の登場人物、堀北雄介や安藤与志樹と同じです。がむしゃらに英語の勉強に力を注ぎ、面接用の「留学に行く理由」を教授と相談し、学内の選考を通過し、半年間の派遣留学に行きました。

今作を読んだ後に振り返ると、あの時の私は「留学に行った自分」、「海外に行って価値観が変わった自分」が欲しかったのかもしれません。

目的と手段が逆転している、「生きがい」というよりも「死にがい」を求めている行動だと言われると、納得してしまいます。

「生きがい」と「死にがい」

今作の中で、坂本亜矢奈、南水智也は、堀北雄介の「死にがい」の追求の結果が他者への攻撃にならず、自己研鑽や社会貢献の方向を向いている内は良いのだと、堀北雄介を見守ることを決めていました。

今作がすごいのは、南水智也のように「『生きがい』なんてなくていいんだ」と語る立派な誰かには、作られた生きがいではない、心から欲する大層な生きがいがあるだけなのだと、現代の価値観の奥の奥まで見据えて語っていることです。

つまり、誰もがありのままで良い、「生きがい」なんて必要ないと囁かれるこの社会、この時代においても、誰もが「生きがい」を求めて、時には「死にがい」を求めて生きているのです。

「生きがい」を欲し続ける人生はきっと苦しいです。

私だって、南水智也のように、運命に敷かれたレールに沿って、何かを熱望して生きていたかった、「生きがい」や「死にがい」という存在に気付かないくらい、自然に心の中に「生きがい」の炎を燃やして生きていたかった、そう思いました。

今作こそが鎮痛剤となる

今作では、堀北雄介のように「何者かになりたい」病を抱えた若者がどうするべきか、何が正解かといったことは書いてありません。

そして、その正解がこの世にあったとしても、言葉にすると陳腐になってしまうものだと思うのです。

だけど、少なくとも、平成に生まれ、平成を生きた今の若者たちの「何が悩みなのか見えないまま内側から腐っていく」そんな悩みは、決して甘えたものではないと今作は教えてくれました。

私たちの内側に少しずつ溜まっていくこの毒素。

それは、相対評価より絶対評価、家族主義より個人主義、会社ではなく個人、やりたいことよりやるべきこと、泥臭さではなくスマートさ、効率化、コストパフォーマンス、タイムパフォーマンス、これらの価値観が良いとされる平成、令和という時代の中で、私たちが気付かないうちに取り込み、溜め込んでいるものだったのです。

この毒素への特効薬はないのかもしれません。

だからこそ、今作が与えてくれる気付きと共感こそが鎮痛剤となり、時が来れば、私たちはこの毒素を少し手放すことができるのかもしれません。

まとめ

この記事では、朝井リョウさんの小説『死にがいを求めて生きているの』の感想をご紹介しました。

今作を読んでいる途中は「海族」「山族」…?とついていけなくなる部分もありましたが、やはり朝井リョウさんの今の時代の解像度と、それを表現する言葉選びが的確で、もはやグロテスクですらありました。

今、私は朝井リョウさんの新作『生殖記』を読んでいるので、読み終わったら、また感想を書こうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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