【感想】映画『瞳をとじて』虚構の中の現実 | まなざしは生き続ける

画像引用元:映画.com『瞳をとじて』ギャラリー(C)2023 La Mirada del Adios A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

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こんにちは、はな(@hanahackpq)です。

2024年2月9日公開の映画『瞳をとじて』を観てきました!

私は、ビクトル・エリセ監督の他の作品は全く観たことがなかったのですが「あまりにも評判が良いから、これは映画館で観ないと!」という気持ちで観に行ってきました。

その結果、評判通り、いや評判以上の名作で、きっと一生忘れることができない作品になりました。

正直ストーリーについては、どのように解釈すれば良いのか分かっていない部分も多いのですが、今作を観て私が抱いた感想をご紹介していきます。

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映画『瞳をとじて』あらすじ・キャスト

映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。そして番組終了後、フリオに似た男が海辺の施設にいるとの情報が寄せられ……。

映画.com『瞳をとじて』より
原題Cerrar los ojos
監督ビクトル・エリセ
主演マノロ・ソロ
公開日2024年2月9日
上映時間169分

映画『瞳をとじて』は、『ミツバチのささやき』の巨匠ビクトル・エリセ監督の31年ぶりにして4作目の長編映画です。

今作は『ミツバチのささやき』で主人公の少女を演じたアナ・トレントが出演していることでも話題になりました。

それでは、私が今作を観て抱いた感想をご紹介していきます!

はな

大きなネタバレはないですが、ラストシーンについても触れていくので、未鑑賞の方はご注意ください!

映画『瞳をとじて』今作のテーマは?

映画『瞳をとじて』は、私にとって初めてのビクトル・エリセ監督作品でした。

正直、今作を観る前は169分という長さに集中できるかと不安に思っていましたし、個人的な感想としては「169分あますところなく面白い!」とは思いませんでした。

特に前半の、フリオが見つかったという連絡が入るまでのいくつかの場面では、少なくとも私にとって、確実に「静かで退屈な瞬間」があったんです。

でもなぜか、その退屈さがすごく心地よくて、安心した気持ちになりました。

ある時にふと、遠い過去を思い出す時のような、切なく静かで、でも安心するような、そんな気持ちです。

この感覚は、今作が持つテーマにも通じると感じました。

時の持つ残酷さと美しさ

今作では、主人公ミゲルがフリオと再会するまでに、古くからの友人、過去の恋人、現在の友人や仲間など、多くの人との交流が描かれていました。

私が今作から感じたテーマは、時の持つ残酷さと美しさの両面です。

時は確かに、人に老いを与え、体力や記憶などの大切なものを奪います。

しかし同時に、時は私たちの心の傷を癒し、人間的な深みをもたらします。

時が与える変化を、残酷だと感じるか、美しいと感じるかは私たち次第です。

しかし、誰もが時の流れから逃れられない限り、時のもたらす残酷さと美しさの両面を受け入れて生きていくことこそ、豊かな人生なのではないでしょうか。

映画『瞳をとじて』まなざしの持つ意味とは

今作では、登場人物のまなざしがとても印象的に描かれます。

では、今作で印象的に描かれるまなざしには、どのような意味があるのでしょうか。

今作では、ミゲルがフリオのまなざしを見て、フリオが自分のことを覚えていないことを悟る場面や、アナがフリオに会う前に「もし、彼の自分を見るまなざしが知らないものだったら」と不安に思う場面があります。

このように、まなざしは心の奥底にある想いを映し出すものとして描かれているのだと考えられます。

まなざしから感じる生、これこそが映画だ

今作では、まなざしが印象的なシーンが多くありました。

しかしラストの、劇中劇の少女とフリオのまなざし、それを観るフリオらのまなざし、フリオを見るミゲルのまなざし、この描写が何より素晴らしかったです。

今作のラストシーンについて、監督はインタビューでこのように述べ、解釈は観客個人に委ねられています。

明白な意図はありませんでした。このシーンの意味は私自身の意図や解釈に閉鎖されたものではなく、観客の意識に対して開かれたものです。映画をご覧になった皆さんが自分の内側で、各々自分の知性や心の中で、ひとつの答えを見つけるべきだと思っています。

『瞳をとじて』ビクトル・エリセ監督 映画は観客の意識に対して開かれたもの 【Director’s Interview Vol.384】より引用

私はこのシーンで、自分の心臓がドクンと音を立てて、映画と現実の境目がなくなったような感覚に襲われました。

例え映画であっても、役を演じている俳優は実在する人間であり、彼らの存在と、そのまなざしは本物です。

画面の向こうからこちらを見る彼らのまなざしは、どうしたって私たち観客一人ひとりを見つめていました。

「あなたは、この物語から何を思った?」と問われているようでした。

私は、映画と現実を結び付けて考えることはあれども、映画に生きた人間を感じたのは初めてです。

そして、これこそが「映画」なのだと、感じました。

『瞳をとじて』タイトルの意味は?

では、『瞳をとじて』というタイトルはどのような意味なのでしょうか?

このタイトルには『ミツバチのささやき』から『瞳をとじて』に受け継がれた「私はアナ」というセリフが深く関係しています。

私はアナ(Soy Ana)
『ミツバチのささやき』のアナ役:アナ・トレントが『瞳をとじて』でもアナ役で出演。そして、「私はアナ」とは、『ミツバチのささやき』の劇中で、巡回上映の『フランケンシュタイン』を見た後、アナに姉のイザベルが、あの怪物は精霊で、「目を閉じて、私はアナと呼びかければいつでも会える」とちょっとした噓をつくのだが、アナは最後に窓辺で、「私はアナ」と呼びかけ、“目を閉じる”。この、目を閉じて、呼びかければいつでも会えるということが、そのまま『瞳をとじて』へと受け継がれており、重要な要素となっていると考えている。

洋画専門チャンネル ザ・シネマ「ビクトル・エリセの31年ぶりの長編映画『瞳をとじて』に仕掛けられたものとは」より

今作『瞳をとじて』でアナは、記憶を失った父フリオと対面した際に、目をとじ「私はアナ」とつぶやきます。

アナの父フリオへの想いや、父フリオと過ごした思い出は、アナの心にあるものであり、父フリオのまなざしがどうであれ、失われるものではないのです。

私たちは、誰かのまなざしに宿る想いに傷付けられたり、感動させられたり、癒されたりして生きていきます。

しかし、誰かのまなざしに宿る想いよりも大切なものがあります。

「目を閉じ、呼びかければいつでも会える」

それは、自分自身の想いなのです。

つまり、今作のタイトル『瞳をとじて』は、自分自身の心の中にある想いを見つめることを意味していると、私は感じました。

まとめ | クラシックで貴重な映画体験

この記事では、映画『瞳をとじて』の感想をご紹介しました!

映画『瞳をとじて』は、非常にクラシックでありつつも、とても貴重な映画体験を与えてくれる作品でした。

この作品の解釈は、人によって全く変わってきそうですよね。

ぜひ、今作を観た感想をXなどでシェアしていただけると嬉しいです!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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