映画『わたしは最悪。』解説 | タイトルの意味とは?理想と現実の物語

画像引用元:映画『わたしは最悪。』公式ホームページより

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こんにちは、はな(@hanahackpq)です。

この記事では、2022年7月1日公開の映画『わたしは最悪。』について感想や、物語の解説をご紹介します。

はな

主人公ユリヤの自由奔放な性格に共感できる人にはとてもおすすめの作品です!そしてオスロの風景が美しい…。本記事にはオスロの写真をぺたぺた貼っていくので、一緒にお楽しみください~~!

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映画『わたしは最悪。』作品情報

学生時代は成績優秀で、アート系の才能や文才もあるのに、「これしかない!」という決定的な道が見つからず、いまだ人生の脇役のような気分のユリヤ。そんな彼女にグラフィックノベル作家として成功した年上の恋人アクセルは、妻や母といったポジションをすすめてくる。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、若くて魅力的なアイヴィンに出会う。新たな恋の勢いに乗って、ユリヤは今度こそ自分の人生の主役の座をつかもうとするのだが──。

映画『わたしは最悪。』ホームページより引用
監督・脚本ヨアヒム・トリアー
主演レナーテ・ラインスヴェ
上映日2022年7月1日
上映時間121分

主人公ユリヤを演じたのは、今作が映画初主演となるレナーテ・ラインスヴェさん。

映画初主演とは思えないほど、表情が繊細で、素直で、ずるくて、人間的で、とっても美しかったです。

そして今作は、「理想」と「現実」の間で揺れ動く女性の表現がすごくリアルな、素敵な映画でした。

観た直後は、自分の経験や想いと映画がリンクして、だけどその感情を言葉に出来ないもどかしさを感じていました。

しかし、公式ホームページの「PRODUCTION NOTES /INTERVIEW」を読むことで、ぐちゃぐちゃの感情を言葉にすることができたので、この記事もPRODUCTION NOTES /INTERVIEWを参考に書いていきます。

「理想」と「現実」の物語

(オスロは自然と都会の調和が素敵な街、とっても住みたい…)

ヨアキム・トリアー監督はインタビューで、今の自分が本当に語りたい物語として「こんな人生を送りたいという夢と、実際はこうなるという現実に、折り合いをつけるというストーリー」が浮かび、本作を作ったと語っています。

主人公ユリヤは、とにかく好奇心旺盛で、新しいもの、新しいものと、次々に人生の方向を変えていく。

それはおそらく

「常に新鮮さに胸を躍らせて生きていきたい」

という想いからで、だからこそ、目の前のことに新鮮さを感じなくなった瞬間

「これは望んでいた自分?」

という想いを抱いてしまう。

そんな「理想」と「現実」の狭間に生きる主人公は、30歳という節目を迎えて、今後の人生を考えていく。

ユリヤの生き方に共感できる人のための物語

(オスロには、ヴィーゲラン彫刻公園という彫刻がたくさんある公園があるそうです)

今作は、ユリヤの生き方に共感できない観客からすると、我儘な主人公だと感じ、物語自体に拒否反応を起こすかもしれません。

でも、ユリヤに共感する観客の1人である私からすると、共感の嵐で、とにかく胸が締め付けられました。

そういう意味で今作は、ユリヤの生き方に共感できる人のための物語と言えるでしょう。

理想を追いかける少女心のようなものが、大人になり、浅はかさのようなものに形を変えてしまう。そんな自分が嫌だけど、それが自分であり、変えられない。

だけど、ラストでカメラマンとしての人生を歩み始めるユリヤの姿は、人生で無駄な時間や経験なんてなくて、すべてが、あるべき自分に繋がっていくというメッセージのように感じました。

今作は、ユリヤと同じような自由奔放な人生を歩んできた観客も「わたしって、我儘で、自分勝手で、最悪だな」と思わせられる、でも、そんな自分をそのまま肯定してくれるような、素敵な作品です。

SNS時代のラブストーリー

(映画でもこんなシーンがありましたが、オスロの空が美しすぎる)

「僕たちは選択肢がとても多い時代に暮らしていて、結局は何を選べばいいかわからないと感じている。長期にわたるパートナーを見つけるには複雑な時代だ。でも、それには一種の自由という前向きな点もあるよね。現代の女性は結婚する必要も、ある程度の年齢で子供を持つ必要もない。その一方で、僕たちは恋愛において成功しなければという、大きなプレッシャーを感じている。難しいね。自由は複雑だ! これが本作のキャッチフレーズになりそうだね」

PRODUCTION NOTES /INTERVIEW「3. 人間を描くロマンティック・コメディにしてSNS時代のラブストーリー」より引用

多くの人が、学問、職業、恋愛などを自由に選択できる現代では、無限の選択肢と無限の人生の可能性が目の前に広がっていますよね。

そして、私もユリヤのように、人生は気の向くままに行動するのが一番だと思っている人間の一人で、恋愛のスタイルにも非常に共感しました。

でも、ユリヤの恋人アクセルの言った「君は行き詰ると別れを選択する」という言葉に、現実を突きつけられたような感覚になったのも確かです。

ユリヤのような人間は結局、新しく出会ったその人自身に魅力を感じているというよりも、新しい出会いそのものに魅力を感じているのです。

そう思うとユリヤはやはり、前進する力が強いように見えて、結局迂回に迂回を重ねている人生を送っているんだな、と思いました。

知的で才能のある男性であるアクセルと付き合っていたからこそ、素朴で愉快なアイヴァンに惹かれる。

だけど、結局ないものねだりなので、付き合い始めるとアイヴァンの素朴さにいら立ちを感じてしまう。

「愛しているけど、愛していない」という言葉の意味

(これもオスロですよ~~)

「理想」(新しく魅力的なもの)と「現実」(慣れ親しんだ大切なもの)、それぞれの魅力を理解した上で、後悔することを理解しながらも、「理想」に向かって進んでいく

きっとユリヤは、そんなことを何回も何回も繰り返し、生きてきたのでしょう。

それが、彼女の言った「愛しているけど、愛していない」という言葉の意味なのではないでしょうか。

『わたしは最悪。』タイトルの意味とは?

(ムンク博物館!あの有名な絵の舞台もオスロ…!)

邦題「わたしは最悪。」(英題 “The Worst Person In The World” / 原題 “Verdens verste menneske” )は、タイトルから内容が想像つきにくいという点で、なかなかに不思議なタイトルです。

映画の中で話されている言語はノルウェー語のため、字幕で観た私が100%でそれぞれのキャラクターの感情を読み取れたかと言うと、そうではないです。

だからこそ、私はこのタイトルの意味を深く考えました。

少なくとも字幕では「わたしは最悪。」という発言はありませんでしたが、明らかに対比されているのは、ユリヤの恋人アクセルが言った「君は最高だ。」という言葉でした。

ユリヤの自由さによって傷つけられたはずのアクセルが、なぜ「君は最高だ。」と言ったのか。

それは単純に、彼女に傷付けられた事実よりも、彼女と過ごした日々が最高だったからに他なりません。アクセルの気持ちを考えるととっても切ないですが…。

そんな彼の言葉と対比される「わたしは最悪。」というタイトルは、やはり、

「(我儘で自由奔放な生き方をして、人を傷付けてしまう)わたしは最悪。(でも、それでいい)」

という意味が込められているんじゃないでしょうか。

邦題だけですが、最後の「。」は、その後に文章が続くという意味だと受け取りました。

まとめ

映画『わたしは最悪。』は、ユリヤのように理想と現実の間で揺れ動き、そんな自分を嫌いになりそうな人に観てほしい映画です。

ヨアヒム・トリアー監督作品の他の作品も観てみたくなりましたね。

お読みいただきありがとうございました!

ヨアヒム・トリアー監督作品はPrime Videoで配信中

配信情報は2024年1月時点です

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