画像引用元:映画『窓辺にて』公式Twitterより
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こんにちは、はな(@hanahackpq)です。
この記事では、2022年11月4日公開の映画『窓辺にて』の感想と考察をネタバレありで書いていきます。
私にとって間違いなく今年ベストの今作が、なぜこんなに最高だったのか考えました。
ネタバレを含みますので、鑑賞後の方のみご覧ください!
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『窓辺にて』あらすじ・キャスト
フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。
映画『窓辺にて』公式ホームページより
監督・脚本 | 今泉力哉 |
主演 | 稲垣吾郎 |
上映日 | 2022年11月4日 |
上映時間 | 143分 |
今作、主人公・市川茂巳を演じるのは稲垣吾郎さんです。
稲垣さんへのあてがき脚本なので、当然といえばそうなのですが、感情が穏やかな茂巳は、稲垣さんに最高のはまり役でした。
そのほかにも、キャスト陣全員が今泉ワールドの優しい空気感を作っていて、本当に素敵な作品となっていました…!
久保留亜役:玉城ティナさん(今泉監督作品初出演)
市川紗衣役:中村ゆりさん(今泉監督作品初出演)
有坂正嗣役:若葉竜也さん(『愛がなんだ』『あの頃。』『街の上で』出演)
水木優二役:倉悠貴さん(『街の上で』出演)
藤沢なつ役:穂志もえかさん(『愛がなんだ』『街の上で』出演)
ほか
それでは、映画『窓辺にて』はなぜこんなに素晴らしかったのか、今作の良さについて考えていきます!
『窓辺にて』の良さ①:人間の描き方がとにかく優しい
これは、今泉監督作品の特徴としてよく挙げられることですが、人間の描き方がとにかく優しいです。
人間は一面的ではないので、全く異なる性質を同時に持ち合わせることも、現実世界では普通のことですよね。
しかし、創作物となったとたん、正反対の性質を同時に持ち合わせることの表現は難しくなり、表現のバランスを間違えると、キャラクターの性格が不自然に見えてしまったり、嫌なやつに見えたりします。
今泉監督は、そんな人間の矛盾した性質をとっても自然に、ちょうどいいバランスで、優しく描くのです。
例えば、プロスポーツ選手・有坂正嗣(マサ)は愛する妻子がいるのにも関わらず不倫をしています。
その面だけを見ると最低な人間ですね。
ですが、同時に、マサは間違いなくいいやつでもあって、自分の不貞はさておき、友人である茂巳の離婚には涙するような素直さを持っています。
そういった矛盾も普通のことであると描いてくれることで、自分の中の矛盾や罪に苦しんでいる人は、この映画によって確実に慰められます。
『窓辺にて』の良さ②:感情の乏しさというテーマの新しさ
「感情の乏しさ」という悩みは、ある程度の普遍性はありながらも、作品として描かれることが少ないテーマです。
ある時、今泉監督は「妻が不倫をしたとして、自分は怒りが湧かないだろう。そしてこれは、彼女のことが好きじゃないということなのかもしれない。そんな自分が一緒にいるよりも、彼女のことをもっと愛してくれる人と一緒にいる方が、彼女の人生は幸せなのではないか」と考えたそうです。
つまり、今作の脚本の原点にあるのは、今泉監督本人の経験した感情なのですね。
また、監督はTwitterのスペースで「感情がぶれにくいことは 悪いこと”ではなく、人の気持ちを考えられるという長所でもあるので、今は、これはこれでいいと思っている」ということを言われていました。
その考えが映画に反映されているからこそ、感情の乏しさに悩む人間が救われる作品となったのだと感じます。
【考察】今作における「手に入れること」「手放すこと」
一般的に、「手に入れること」はよいこと、「手放すこと」はよくないことのように表現されることが多いですが、実はどちらもネガティブなことではないのだと、この映画では表現されます。
今作における「手に入れること」「手放すこと」について、登場人物ごとに考えていきましょう。
「手放すこと」を選択した登場人物
主人公フリーライター・市川茂巳の「手放すこと」
茂巳は、妻の不倫という出来事に対し、悲しいという感情が湧かなかったことに悩みます。
そして彼は、妻との生活を「手放すこと」を選択します。
若手小説家・荒川円の「手放すこと」
円は、茂巳の妻・紗衣のことが好きで好きでたまりませんでした。
だからこそ、罪悪感を抱えながらも紗衣との関係を「手に入れること(続けること)」を選んでいたのです。
しかし、不倫が茂巳に知られたことで、紗衣と円の関係は終わりました。
その後、円は紗衣と過ごす時間の中で感じた感情を小説にし、彼女との時間を完全に過去のものにしたのです。
それによって円は紗衣を「手放すこと」ができました。
「手に入れること」を選択した登場人物
主人公の妻・市川紗衣の「手に入れること」
紗衣は、ずっと茂巳からの愛情を感じられず寂しかったのだと思います。
そしてその寂しさを、若い才能である小説家・荒川円で埋めていました。
彼の創作活動に対し、ある種の愛情という形で影響を与えることで、彼女は満たされようとしていたのでしょう。
茂巳と円の選択によって、彼女の不倫は終わりましたが、おそらく、茂巳に知られていなければ、彼女は「手に入れること(続けること)」を選択していました。
そして彼女はおそらく、茂巳のことも、円のことも、まだ過去には出来ておらず、彼女の中ではまだ彼らを手放せていないのだと、映画の後のストーリーを想像しました。
プロスポーツ選手・有坂正嗣(マサ)の「手に入れること」
マサは、妻子がいながらも藤沢なつと不倫をしていました。
彼にとってなつは、仕事や生活とは関係のない場所であり、心の拠り所なのだと思います。
そして彼は、その関係を「手に入れること(続けること)」を選択します。
マサの妻・有坂ゆきのの「手に入れること」
ゆきのは、マサが藤沢なつと不倫していることに苦しんでいます。
だけど彼女は、マサに不倫について話すことはなく、生活を「手に入れること(続けること)」を選択します。
監督いわく、ゆきのは「普通はこうだよね」を見せる軸だそうです。
彼女の姿は「手放すこと」に覚悟が必要であるのと同様に、「手に入れること(続けること)」にも覚悟が必要であることを示してくれます。
マサの不倫相手・藤沢なつの「手に入れること」
なつは、罪悪感を感じながらもマサと不倫をしています。
何度もやめようと言いながらも、本気で好きだからやめられないのです。
正確には、映画で「この関係をやめよう」と言っているのは2回ですが、おそらく2人は何度もその話をしているのだろうし、彼女は常に1人で苦しんでいるのだと思います。
でも、彼女はやはり「手に入れること(続けること)」を選択します。
「手に入れること」「手放すこと」どちらもしていない登場人物
これは個人的な解釈ですが、小説家・久保留亜と、留亜の彼氏である水木優二は、何も手に入れず、何も手放していないように見えました。
広い意味でいうと、留亜は小説で賞を取っていたり、優二は自分の愛する女性から愛されているので「手に入れている」と言えるのかもしれません。
でも、なぜか私には、留亜と優二は良い意味で「そもそも何も持っていない」ように感じられました。
留亜と優二は、何にも囚われず、自由で素直で柔軟で、非常に魅力的なキャラクターなのです。
【結論】「手に入れること」「手放すこと」の覚悟
各登場人物の「手に入れること」「手放すこと」を見ていくと、どちらにも覚悟が必要で、どちらも自分の幸せのためにもがいた結果であり、その選択こそが”人生”であるように感じました。
それでいうと、留亜と優二はまだ未熟なのかというとそうではなく、留亜と優二は小説「ラ・フランス」の主人公のように、「手に入れること」「手放すこと」の選択を、いとも簡単にしてしまう素直さと柔軟さがあり、その結果、「手に入れること」「手放すこと」をしていないかのように見えているのではないだろうか、と考えました。
【感想】恋愛ではない親密な関係性を描く
茂巳と留亜はお互いに好意を持っていますが、それは恋愛感情ではありません。
「誰か他の相手を想っている人たち」が共にいる親密な時間は魅力的であると監督は語っていましたが、本当にそうだと思います。
男女であれば、すぐに恋愛に結び付けられてしまうのが常であるので、茂巳と留亜のような関係性は本当に特別で、美しいと感じます。
【感想】共感できる悩みと、共感できない悩み
余談なのですが、私は人を本気で好きになるということがどういうことなのか、分からない時期が長くありました。
だからこそ、主人公・茂巳には深く共感し、一方で、自分を傷付けるような相手への愛情を捨てられない紗衣や、円、ゆきのの気持ちが全く理解できませんでした。
そして、留亜と優二の真っ直ぐさが羨ましかったです。
でも、複雑な悩みを持つ大人から見て、大きな悩みがないように見える留亜も優二にも悩みはあります。
共感できる、できないに関わらず、人の悩みは “理解” した気になってはいけないのですね。
その人の悩みや苦しみは、その人だけのもので、それを “理解” した気になることこそが、傲慢で贅沢なんです。
「理解した気になって期待することで裏切られる。理解した気になって期待されることで裏切ってしまう。だから”理解”は怖いのだ」という茂巳の考えには非常に共感するし、納得します。その一方で「人と人とは”信頼”でしか繋がれないから、理解し信じることが大切なのだ」という留亜の真っ直ぐさを信じたくもなりました。
『窓辺にて』制作秘話小ネタ5選
小ネタ① パフェの意味
今作の象徴的な食べ物でもあるパフェ。
監督は、パフェであることにそんなに深い意味はなかったといいます。
観た人がそれぞれの感性で意味を持たせてくれたら、という監督の自由な作風ゆえに、今泉作品は観た人それぞれの心に寄り添う名作となっているのでしょう。
小ネタ②『窓辺にて』タイトルの意味
今泉監督は、DVDがレンタルビデオ屋さんや誰かの家の棚に、あいうえお順に並んでいるところを想像してタイトルを考えるそうです。
『街の上で』のとなりに『窓辺にて』が並んでいるのは確かに素敵です。
また同時に、今作のタイトルには、人がどんな決断をしても、窓辺の光は私たちを照らして静かに肯定してくれるという意味も込められているらしく、もう、全部含めて最高だなという気持ちです。
小ネタ③ 最初は、茂巳と紗衣は別れないという結末で書かれていた
原案では、茂巳と紗衣は別れない結末だったそうです。
茂巳が離婚届を取りに行った帰り、茂巳と留亜がラブホテルで一晩過ごしたことを何らかの形で知った優二に茂巳は襲われ入院、物理的に離婚できなかったというストーリー案です。
正直、現実世界ではこういった “運命” によって手放すタイミングを逃すこともよくあることで、それを描くのも確かに面白いですね。
でも、現実世界では多くの人が「手放す」覚悟ではなく「手に入れる」覚悟を選択します。だからこそ、今作の茂巳の「手放す」結末に清々しさを感じ、私はこの作品を大好きになりました。
小ネタ④ 監督の経験
別れ話の時にずっと米津玄師のLemonが流れていたことや、有楽町にあった彼女の家の窓から野良猫が入ってきていたこと、その猫がある日急にいなくなったことなど、今作には今泉監督の実際の経験がちりばめられているそうです。
日常の小さな出来事をイキイキと捉え、記憶していることが今泉監督の作品の美しさに繋がっているのだと感じます。
ちなみに、監督自身の別れ話の時に流れていた曲は、実際にはポルノグラフィティのアポロだそうです!
小ネタ⑤ 今泉作品における笑い
今泉監督は、作品には必ず、人が一生懸命何かに向き合っているのに空回りしていたり、言っちゃいけないことを言ったりすることによって生まれる自然な笑いを取り入れているといいます。
役者には「面白いシーンだと思って演じないでください」と指示しているそうで、そこから生まれるシュールさも今泉作品の醍醐味と言えるでしょう。
まとめ:『窓辺にて』何度でも観たい傑作です
何が言いたいって、今作が最高だってことです。
何度だって観たいと思える作品に出会えたのは初めてで、不思議な気持ちになっています。
ぜひ、いろんな方の感想が知りたいのでTwitterなどで感想のリプをいただけると嬉しいです!
お読みいただきありがとうございました!
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また、ここでは「手に入れること」は「続けること」と同じ意味として考えます!